夜間練習の始まる直前に私達より遅れてＯＢの竹下さんが合宿入りしたとの知らせが入りました。竹下さんは音大の指揮科に在籍する音楽家の卵です。これまでも私達吹奏楽部をずっと指導してきてくれて秋のコンクールでもタクトを振る予定です。小柄で人当たりの良い先輩ですがひとたび指揮棒を持つと少しの妥協も許さない厳しさがあります。でも私達後輩からは信頼されているので合宿初日からの練習参加は皆喜んでいました。
　取り敢えずパートごとの練習が終ると食堂ホールで竹下さんの指揮で合奏練習が始まりました。まずは手慣らしと言うことでコンクールの課題曲と自由曲を通しで演奏しました。竹下さんは二三コメントをした後一つの提案をしました。
「まだまだだけど今日のところはこの辺にしておこう。それでは最後に例のやつをやってみようか」
　例のやつとは我が早川学園吹奏楽部の十八番である『星に願いを』です。映画ピノキオの主題歌の美しいメロディを吹奏楽用にＯＢの人がアレンジしたものらしいです。サビのトランペットのソロが売りなんですよ。学園祭等の演奏会では必ず演奏するのが伝統になっています。
「じゃぁ行ってみるか」
　竹下さんの指揮棒が振り降ろされると静かに演奏が始まりました。２年生の先輩たちはそれこそ譜面を見ずとも完璧に演奏できるくらいやり込んでいますし、私達１年だってこれまでで一番多く演奏しているタイトルです。みんなリラックスして演奏に集中しています。
　そして曲もクライマックスに差し掛かりいよいよサビのトランペットソロ。美しい旋律を貴島先輩が甘い音色で奏でて行きます。うーん、雅世ちゃんが惚れ込んじゃうのも解るなぁ。
　演奏が終ってひとしきり余韻にひたった後、池田先輩の号令がかかります。
「それではこれにて解散！ありがとうございました」
「ありがとうございました！」
　全員起立すると竹下さんに向かって礼。各人の楽器の片付けが終ると１年生が中心となって隅に寄せていた食堂ホールのテーブルを元に戻して行きます。こうしないと明日の朝食の時に困っちゃうからね。

「テラスに出てみよう」
　片付けが一通り終ると雅世ちゃんが声をかけて来ました。
　私は雅世ちゃんに続いてガラス戸を開けてテラスに出ました。夜風が練習でほてった体に気持ちいい。見上げると暗い空をバックにぼんやりとした白い筋が見えます。あれは何だろう？雲とは違うみたいだし。
　しばらくして目が慣れて来ると白い筋は細かな星が散りばめられたものだというのが解りました。山の上の澄んだ空だから見えるんだね。都会じゃ絶対に見られないよ。
「これが天の川なんだ。初めて見たよ。綺麗だねー」
　隣で同じく空を見上げている雅世ちゃんに話し掛けると彼女も星空に魅入られた様につぶやきました。
「星に願いを、か・・・」
　私はいつの間にか『星に願いを』のメロディをハミングしていました。
「ねぇ、理沙」
「なに？」
　私達は空を見上げながら互いの顔を見ないまま受け答えしていました。
「あたし頑張るからね」
　雅世ちゃんは意志のこもったしっかりとした言葉を紡ぎ出しました。
「うん」
　何を頑張るのかは敢えて聞き返さずに彼女の言葉を私は受け止めました。
　色々あったけど最後は穏やかに合宿の初日は終りを告げました。